スモールトーク

いま珠洲で暮らすには


大雨のあと、はじめて珠洲まで走りました。土曜日の相談会で、正月の地震と9月の豪雨の影響を前提とした士業が合同して実施する相談会の相談員として参加するのが目的です。私の事務所は休みなので朝から出る必要はなく、ガソリンをたっぷりと入れ飲み物も多めに持って、普段より少し早めに家を出ました。思いのほか車が多く、金沢港クルーズターミナルの駐車場には大型観光バスが何十台も並び、もう少し道を調べておくべきだったと思いながらノロノロと石油基地の埠頭に差し掛かりました。埠頭に向かう道は通行規制され、工場の先に新しいビルが建ったかのように大きな船が見えてきました。大きな旅客船だとクルーズターミナルには接岸できないのか、陸上での誘導が大変な様子です。埠頭とは反対方向に走って内灘海岸まで出ると吹き流しが目に入り、何となく向かい風に逆らう気分で自動車道に乗りました。ここまで来ると車の流れはよく、明るい曇り空は目に優しく、しばらくは快適に走り続けることができました。このあたりから北の砂丘地は液状化が酷く、江戸時代にも同様の被害が記録されている地域で、地震の後も暫く流動化が止まらないと言われ、思うように復旧が進まないと聞いています。ただ、道路上から目につく被害が残されてはいません。羽咋あたりから道の傷み方が普通ではなくなり工事車両が増えてきました。路肩が崩れて車線が制限され、それに伴うアップダウンも多く、資材を満載した工事車両に挟まれて走ると時間もかかります。トイレと食事は気をつけろと言われましたが、その通り、サービスエリアも閉鎖されていると先を急ぐよりありません。復旧というにはまだまだですが何とか往路復路とも応急措置された道路はずっと穴水まで続き、次々と油断できないポイントが現れます。その先の様子が分からないので、災害時には避難場所にもなる能登空港で一休みすることにしました。空港の駐車場はそれなりに車が停められボランティアらしき人達が出入りしていました。みんな同じ方向に向かうのかと思ったら、輪島に向かう人が多いのか、珠洲に向かう道は空いていて速度をセーブして走る工事車両に追いついてしまいます。モタモタしながら珠洲に入り、道路脇に流木が積まれる間を突き抜けて、同業先輩の事務所が有った旧飯田駅を回ってから相談会場に向かいました。途中、旧珠洲駅にはプレハブ店舗に弁当屋さんがオープンしていて、なかなかの繁盛で昼飯の不安は取り越し苦労と分かりました。きっと、工事でこの地に入る人達にとって大事な場所だと思いました。翌日が国会議員選挙の投票所になるのか、会場は当初の珠洲市役所から珠洲商工会議所に変更され、港に近く玄関前の舗装が歪んだままの珠洲商工会議所には遅れることなく到着しました。近くにあるショッピングセンター「シーサイド」も芸術祭拠点「さいはてのキャバレー」も再開不能のところ、会議室の建物はきれいに整備され、相談来訪者には安心して来てもらうことができたようです。社会保険労務士の相談は少なく、土地や建物に関係する事案が多かったようです。ただ、企業に採用意欲はあり、避難先からの通勤は難しく、住まいのお世話までしようとすると空き部屋がなく、そのうち人が離れていく不安を抱えているようです。建設業者だと、自分で直して住むことを条件に貸りる手があるそうで、人が普通に住むことのできる家が足りないという現実をあらためて実感しました。