スモールトーク
さいはてのスタンプラリー

腹が空いて見逃してしまいましたが、廃止された佐渡航路フェリー定期便の待合室は、佐藤允彦、角田光代、石川直樹、山下洋輔、田中泯、そして多くの旅行者らを呼び寄せ、奥能登国際芸術祭「さいはてのキャバレー」として温存されているそうです。かつて原子力発電所の建設計画が推進された珠洲市全域を会場にして今年のトリエンナーレ「奥能登国際芸術祭」は日程を変更して開催され、私が訪問したときは断続する地震の被害にもめげず多くの人達がボランティアで運営にあたっていました。能登半島の先端部にあたる珠洲は半島の内浦と外浦の両方に面し、穴水から車で七尾湾を右に見ながら海岸線をトレースして走ると湖より静かで穏やかだった海面が岬の峠を越すあたりから沖を眺めると白波が泡立つような荒海に変わります。海に山が迫る半島の四十数か所に展示会場が散らばり、地元の人達も生活圏が違うと行ったことがないという場所を、ボランティアの立てた看板を頼りに車を走らせました。風力発電の風車や大きな実が弾いた椿やいつ収穫するのか心配な柿の木など見ていると、帰り道、ちゃんと戻ることができるのか心配にもなりました。そんな場所でも、地元のお母さんたちがギャラリーのお世話をしてくれて、地震のことを訊ねると「ウチの屋根は大丈夫」と明るく応えてもらったのですが、よく聞くと家の壁がヒビだらけでも雨漏りはしていないだけなのだと分かり、自分達がここに来るだけでも意味があったのだと思い、芸術祭は原発よりも価値があるのだと考えることができました。いま絶滅危惧市と言われる珠洲には何度か新卒求人で訪問したことがあり、多くの生徒を紹介してもらった珠洲実業高校が廃校になったことを知りました。隣接する町にあった小木水産・柳田農業・輪島実業・町野高校、少し先にあった中島高校・七尾商業・七尾工業・七尾農業・富来高校・高浜高校も統合されており、地域の宝として多くの生徒たちが各地に送り出されたことが分かります。廃校になったのは高校だけでなく、芸術祭の展示会場には廃校になった小学校や保育園が幾つも使われていました。取り壊すことなく残された校舎はそれ自体が何かを語りかけてくるような個性に溢れ、校舎に負けないパワーを秘めた展示品が集まったようです。そして、廃線になった能登線の駅舎もまた展示会場として使われ、黒丸・鵜飼・上戸・飯田・珠洲・正院・蛸島と続く各駅が乗ったことのない鉄道にひとつ一つの想いを呼び覚ますかのような場の雰囲気を醸していました。飯田駅前にはお世話になった同業の先生の事務所が看板を上げたまま残され、往年を知る者には時を逃し終い忘れたモニュメントの様に見えました。三崎の小学校からランプの宿を廻って大谷あたりでガソリンの残量が気にかかり、輪島まで持つだろうかと探し始めるとガソリンスタンドの廃業が目につきます。次回は燃料をたっぷりと補充して、あと半日あれば全展示会場をコンプリートに回り終えることが出来そうです。