スモールトーク

のこぎり坂が祝言坂の蓮如道

 急な山道をのこぎりの歯のように屈曲して登る加越国境の難路と記されている細呂木から吉崎に向かう旧街道は、江戸時代の初めには大名道路として大改修がなされ明治になってからはこれを切り下げて険しい山道が今のように歩き易い道になったということです。鎌倉時代には越後に流された親鸞がここを通り、室町時代には吉崎に御坊を建立のため下向した蓮如がここを通り、今も、真宗門徒は毎年の行事として御影を担ってここを通ることになっています。私達もこの道を歩いてみようと、晴れ男を自任する大聖寺文化協会の事務局長さんにガイドを引き受けて頂き、梅雨のうちなら酷い暑さは心配ないと考えて7月の上旬にチャレンジしました。しかし、気象予報は降水確率を上げ続け、当日の天気も次第に雨が止みそうではあっても上がりきらず、御山から蓮如道の入口までたどり着いたものの、その先を歩くことはあきらめ別の日に出直すことにしました。浄土真宗の東別院と西別院が並び立つ吉崎には道の駅がオープンして、地元の物産や土産物の販売所のほか私にはハイエンド超えのようなカフェもできていて、雨でも退屈しない観光スポットとして整備されたようです。県境を越えて福井に入ったせいか、おろし蕎麦や焼きサバ寿司が旨そうでしたが、今回、これも名物かなり小さめの酒饅頭を土産に買ってしまいました。実は、ここには道の駅ができる前から「吉崎御坊蓮如上人記念館」があって、入館すると学芸員の方のエスコートで、一人だと見る前に通り過ぎそうな展示物をより面白く見ることができます。蓮如は南無阿弥陀仏の名号や教義の解説というべき御文を大量に発出して教線を拡大したとされ、生産力が増大した越前・加賀に狙いを定めて進出を企てたと思われます。寄進奉納の量と質に比例して仏のご利益が顕れるかの如き分かり易くも隔絶感の強い密教系の教えと比べて、全てに平等な救済を説く鎌倉新仏教として特徴的な教義を集団で高揚させる布教は、時代と地域にチューニングしたかのようです。もとは真言の寺が真宗に宗派替えしたり、もしか一向一揆の乗っ取りか、お寺を基盤にした活動は独特で、仏像も御守りもご祈祷もお祓いもなく、一期一会の信仰で救われる宗教的合理性は、現代の新興宗教にとって不都合な到達点かも知れません。すでに救済されて極楽浄土が約束されていると言われても「阿弥陀も銭限」で、堕とされることはないので「地獄の沙汰も金次第」と言わないだけの知恵かも知れません。ただ、超能力を売り物にしなかったところがこの時代の宗教革命とも考えられます。この正当性と合理性を明らかにする正信偈の一節は、映画「ブルースブラザース」でブラックミュージックの伝統を延々と説くシーンを思い出させ、河口の港に面して要塞のように見える御山に据えられた御坊は宗教施設としての役目を超えたものを想い描きます。確かめる術はないものの、このあと序でがあって再度この道を歩いたときは、暑くて風がなく虫の多い日で、ウグイスが法華経を読んで案内してくれました。