スモールトーク
ブラックマンデイ
ノイスワンスタイン城めぐりのバスツアーの途中、日本から西ドイツへの国費留学生らしき人物からフュッセンのレストランで「歴史に残る日かもしれない」と言われた20年前のその日は、“ブラックマンデー”と呼ばれるようになりました。私達にとっての事件はその後のことでした。ほぼ満席のイリューシンが不気味な赤い雲に飲み込まれるかのように着陸した濃霧のシェレメチェボ空港からは、その後の離着陸はなくなったのです。そのまま、ロビーで水を飲みながら朗々と歌うイスラム風の負傷者達のそばで一夜を明かすことになりました。それでも、ソビエト連邦がまだ機能していたゴルバチョフの時代で、南回り(インド経由)や北回り(アラスカ経由)よりシベリア通過(モスクワ経由)のアエロフロートが確実に速かったのです。夜の成田にはブラックマンデーの影も無く、昭和天皇もご健在の世、バブルのピークはまだ先のことでした。
お城の急な階段では、お祖父さんがドイツからの移民だというアメリカからのお婆さんに、「あなた達もウサギ小屋に住むのかい?」と尋ねられましたが、今なら「その通り」と答えます。ソ連も東独もなくなり、バブル崩壊からの中枢部修復は格差を拡大させることで収束したようで、格差の再生産はウサギ小屋からお城への引越しを難しくしています。あのお婆さんに「お祖父さんは何を信じて新大陸に渡ったのですか?」と尋ねてみたくなります。
2007年10月26日