スモールトーク

今は忘れた伝説か遠い時代の迷信か

九州熊本の地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます。熊本、島原、玉名、阿蘇、ほか全ての地域の早急な復旧をお祈りしております。ボランティアの皆さんの有意義な活動を応援いたします。
 どちらかといえば大きな自然災害の少ない北陸で、伝え聞くのは昭和5年の大聖寺地震や昭和9年の手取川洪水そして昭和23年の福井地震の凄まじい様子であり、また、忘れられないのは平成9年のナホトカ号重油流出や平成19年の能登半島地震では多くのボランティアの方からの支援です。昭和5年と想われる地震は二度続けて起こり後の地震の方が揺れは大きかったそうで、慌てて外に飛び出した母の話では、いちばん下の弟が居ないことに気がつき急いで中に戻ると、幼くて怖さを知らない弟は揺れる家の中で大はしゃぎしていたということです。このあと大聖寺では昭和9年の大火事で町の多くが焼けたことを父から聞いており、同じ昭和9年には手取川で大洪水が起きて下流域でも多くの家が流されたことを母から聞いています。家が水に浮き屋根で人が手を振りながら流されていったそうです。昭和23年、地震のレベルが当時として最大規模の直下地震とされる福井地震は火災によって多くの人が亡くなり、地震で生じた地割れに挟まった人もいたとの話も伝わっています。地震が東へ移動するという伝説(迷信)により、小松あたりでも余震による家屋の倒壊と地割れの発生を警戒して、夏場ということもあってか、屋外に梯子を渡してその上に寝ていたという話を聞いたことがあります。大聖寺地震も福井地震も震度レベルは当時として最大階級とされる震度6と記録されており、福井地震をきっかけに震度7が追加して設けられたそうで、能登半島地震も震度6ですが震度階級はもう一つ上に「7」のある「6」となります。能登の震災の象徴とも思える門前の総持寺など、もとから人の少ない地域での復興には長い年月を要しています。ナホトカの頃にはボランティアで勤務先に休暇を申請しようとしても一部の偏向した「活動家」のように睨まれていたのが、能登半島地震のころになると中小企業にとっても従業員のボランティア活動はステイタスともいえるポジションを得たようです。限りある時間の中で出来ることは多くありませんが、自分達が子供の頃から親しんでいた海岸を多くの人達に守ってもらったことを忘れることはありませんし、私にも何か必ずお返しする機会があるものと考えています。

2016年5月4日