スモールトーク

会津のお城にソースかつ丼

通行止めの磐越高速道を途中で降りた会津の町に復元された若松城天守閣、歌曲「荒城の月」のモデルの一つと言われ、クーデターに敗れて都を去った城主が1ヶ月に及ぶテロリストとの籠城戦を経てボコボコになって開城された後の会津鶴ヶ城の古い写真を見ると身も心も凍てつく思いがします。「明日の夜は何国の誰かながむらんなれしお城に残す月かげ」の歌はこの姿を知らずお城の白壁に刻まれたのか、亡き弟の仇討ちと形見の装束で身を固めた女傑山本八重は元込七連発スペンサー銃を操り、土佐からの先鋒板垣退助を釘付けにし薩摩からの援軍大山巌の急所を僅かに外して退け、連日に亘り数千発といわれる砲弾の雨の中を生き延び生まれ変わったかのようです。忠義に厚く薩長を容認しない会津を潰すことがクーデター完了の象徴だったともいえます。奥羽越同盟軍が敗れ時を経て偽官軍偽錦旗偽天皇など勝者が肯んずる筈もなく「勝てば官軍」の言葉通りです。和睦の申出を拒絶し挑発を繰り返しながら無尽蔵の農民奇兵を送り込み消耗戦に持ち込む手法はその後の明治政府のプロトタイプにも見えます。一方では、白虎隊自刃の悲話の心情もまた玉砕の精神に引き継がれたようです。さて、高速道路を降りて食べたのは、喜多方ラーメンとソースかつ丼と山菜そば、一度に食べたわけではありません。不思議だったのがソースかつ丼で、福井と比べてカツが大きく一切れ、刻んだキャベツはたっぷりと敷かれていて、ご飯は粒がスクッとたった口あたり。会津と越前、離れた土地ながらいずれも洋食起源説であり、言葉の訛り具合が似ているが松平つながりでもないだろうとビールも頼んで考えてみました。

2015年6月28日