スモールトーク
出羽の海沿い7号線

伯父を見舞いに梅雨入り前の秋田まで走りました。子供の頃は東京の伯父さんだったのが、勤務先の会社が成長するにつれて遠くまで転勤して仙台の伯父さんになり、盛岡、そして秋田で定年を迎えてそのままここに居つくことになったようです。実家の兄が亡くなってからも何度か車で石川県まで帰ったことがあり、山中で重機の部品が到着するまで待ち続けた飯場の食事の旨さ、キノコ採りに入った谷の向かい斜面で木に登る熊の大きさ、秋田か岩手で生まれ育ったかのような話を聞かせてもらいました。子供の頃の話を聞いてみると、私の生れた家のすぐ近くの店の油揚が美味くてもう一ぺん食べてみたいとか、石川県では珍しくて売れないホッケが網に入り漁師がすぐ刺身にした味が忘れられないとか、営業マンらしい話がするすると出てきました。何年も実家に顔を出すことがなく便りも途絶え気味だったところ、介護施設のお世話になっているとのことで、日の長い時期に他の用事も束ねて伯父の顔を見に行くことにしました。従弟とも連絡がとれたので施設で落ち合って案内してもらったものの、自力で起き上がるのも難しく話も出来ず残念でしたが、穏やかな様子を見ることができたのはそれで一つの成果と思い街に向かいました。秋田の街中には久保田城址があり睡蓮の浮かぶお堀から山上まで散歩コースになっているそうですが、何故かこの上にある料理旅館の運営を定年後の伯父夫婦が引き受けていて、承継には幾つか条件が付くため今は経営者が不在という寂しい話を聞きました。上がってみると、一年前の紫陽花の花がそのまま残り手入れがされていないとはいえ、緑に囲まれた建物に荒れた印象はなく、何年か前に来ていたなら、きっと季節の山菜をたっぷり食べることができたかも知れません。
帰り道、象潟から鳥海山を雲で隠す7号線を南下して酒田に向かい、土門歯科医院の看板を横目に目指したのは土門拳記念館です。写真家の土門拳が故郷の酒田市に作品を寄贈して開館に至ったそうで、見事に焼き上げられた沢山の写真を見ると期待を超える充実感がありました。まだこんな焼きができる職人さんがいるのかと感心していたら、フィルムも無くなりそうな時代にこれは難しいそうで、土門拳に専属の人達が焼いた写真が残っていることを期待するしかないとのことです。もう一つ残念だったのは、土門と同じ時代を生きた写真家の木村伊兵衛の「秋田おばこ」と題された写真は秋田県の観光キャンペーンにも使われ、お土産物屋さんの壁にピンナップされているのですが、秋田の町には木村伊兵衛の常設の展示はどこにも見当たりませんでした。
2018年7月27日