スモールトーク
加賀三湖から世界のコマツへ

長くて暑い夏は彼岸を過ぎてもまだ終わった気がしません。南の風が雨を誘ってひと涼みのつもりが蒸してくると気温以上に暑苦しく感じます。コロナで手を洗う癖がついたら冷たい水の気持ちよさも覚えてしまい、手洗いの序でに頭から水を被りたくなってきます。いつまでも暑い暑いと空調の効いた部屋に閉じ籠っていては良くないと思い、先日、研究会のスピンアウト企画ということで小松の山間地をほっと石川観光マイスターの辻さんに案内してもらいました。ほんとは、もっと涼しい風にあたって歩くつもりだったのに、やはり例年並みとは言えないのが今年の夏でした。「加賀立国1200年」ウォークと名付けられたイベントは行政にオーソライズされたものでなく、参加者の懇親と健康づくりを兼ねて開催する謂わばプライベートな行事です。しかし、能美市・小松市では越前国分割という形で遅れて設けられた加賀国の立国1200年は重要な地域イベントのようで、かつての「河田山古墳群史跡資料館」は改装が施されて名称を「加賀国府ものがたり館」と改め、施設の職員の方から私達は大いに歓迎されたような印象があります。ただ、改称から日が浅く、カーナビにもネット検索にも掛からず集合には手間取りました。さて加賀立国1200年、弘仁14年(西暦823年)に越前国七郡から能登越中に近い江沼と加賀の二郡を分かって加賀国を立国したもので、直後に江沼郡から能美郡を加賀郡から石川郡を独立させて加賀国は四郡編成となり、律令制の地方行政府である加賀国府の置かれたのが今の小松の国府地区だったそうです。国府のあった古府台地は梯川と鍋谷川の合流地点に位置する高台で、梯川河口の安宅とは水運で結ばれた交通の要衝であり、小松の名の由来が弥生時代に朝鮮半島と往来する高麗津を起源と考えるのも説得力を増してきます。小松南部の丘陵地では半島伝来の須恵器窯跡や古代製鉄遺跡が多く見つかり、JR小松駅東側の弥生中期環濠集落跡からは西日本一帯に流通した勾玉管玉の生産も確認され、加賀三湖の水運を背景に梯川を通じて安宅から白山をランドマークに日本海沿岸に広がる交易は世界のコマツとして認識すべきなのかも知れません。こんな話を聞きながら、住宅造成地の片隅にある河田山古墳群跡をスタートして白山の伏流水が湧く桜生水で一息入れて加賀藩二代藩主前田利常公灰塚から天保十年糠虫大発生の駆除を供養した埴田の灰塚を経て府南社推定地の石部神社まで、古墳時代から藩政期に至る盛り沢山のコースを二時間足らずで歩き抜くことができました。