スモールトーク

大聖寺の町越しに残雪の山並み

まさかと思って本気で準備をしないままに迎えた御代替りの十連休は写真機の手入れから始まりました。今どきのデジカメを分解修理するわけではなく、バッテリーに充電してレンズのゴミを吹き飛ばすくらいしかできません。あとは、あちこちのメモリーに散らばっている古い写真を一つのファイルにまとめると、少しは整理した気分になりそうです。しかし、お天気のいい日に昼間から取り組むには落ち着かない仕事だと分かり、充電を終えた写真機を持って出掛けることにしました。海上から見ると春の雪を残す白山が見事だという話をしていた後でもあり、連休前に値上げしたガソリンを補給して八号線を南に走り、きっと白山が見えるだろうと大聖寺の町に入って錦城山の城跡に上ってみました。何年か前の研究会のスピンアウト企画「古地図で歩ける町」として案内してもらったとき上り口までは来たところです。一月ほど前に大聖寺藩の歴史を聞いたときにも行ってみようかと思っていた場所だったので、ようやくチャンスが巡ってきたという感じがします。駐車場に車を停めると、まさに上り口という通り本丸あたりまで階段が整備されていて、一向一揆の鳥越城ほどではないかもしれませんが、何の準備もなくいきなり歩くには少しためらうような勾配からのスタートでした。勾配がきつい分だけ確実に高度を稼いでいるので少し歩くと町を見渡すほどの高さになり、木が茂っていなければ城からの眺めは大聖寺の町を隅々まで見通すことができるかと思うほどです。回遊した下り道の途中に眺望のため木を伐り開いた斜面があり、ここから少し地肌を見せた白山をきれいに見ることができました。この城では関ヶ原の戦いの前に実戦を経験し、秀吉の直臣で城主の山口玄蕃が加賀藩初代藩主となる前田利長の大軍に攻撃を受けて、わずかの軍勢で果敢に抗戦する山口玄蕃に多大な被害を被った前田利長は玄蕃の降伏を許さず、前田勢の復讐戦に大聖寺城は陥落し城主玄蕃父子は自害したということです。そして、錦城山入城から落城まで2年ほどしかないこの玄蕃、今も大聖寺の町の人達から愛され親しまれているそうです。

2019年5月4日