スモールトーク
大聖寺まち歩き流し舟

大聖寺のまちを歩いて案内してもらいました。十年ほど前から続いている研究会で「大聖寺のまちづくり」をテーマにコンサルタントの能宮さんにお話し頂いたのですが、そのスピンアウト企画として研究会メンバー数名で実際に歩いてみることになりました。私は子供の頃に父から昭和九年の大火事のことを何度も聞かされ、ハローワークや市役所など仕事でも行く用事の多い町で、知らない町ではないのですが、車で走り回るだけで自分の足で歩くのは初めてです。200年前の古地図で歩ける「大聖寺まち歩き」ということで、独りで歩いていては分らないような話を聞きながら南加賀江沼の城下町を散策できたのは貴重な体験です。蓮如の吉崎御坊・一向一揆が滅ぼされ前田家の利常三男の利治が初代大聖寺藩主ということですが、数で優る前田利長と激戦を交えた秀吉の家臣で錦城山大聖寺城主の山口玄蕃もこの町で親しみを持って語られていました。遥か江戸時代の初めに廃城されても大聖寺のシンボルのような存在になっている錦城山は散歩するには険しい坂道ということで、ガイドして頂いた能宮さんはここで山登りのトレーニングを重ねているようです。もう一つ町の特徴なのが大きく蛇行して流れる旧大聖寺川で、この川端に藩主の休息所とされる長流亭が大火を逃れて江沼神社に残されています。宮司の話では昭和の修理に隙が出ても創建当初の造作に狂いは生じていないそうです。そのころ突然に廃窯となったのが古九谷ということで、県立九谷焼美術館が建てられています。中の喫茶店でお茶を頂いて、この日のまち歩きは解散になりました。
2015年5月26日