スモールトーク

昭和九年から88年

 この度の豪雨により被害を受けた皆様にお見舞い申し上げます。また、多くの方々からご心配いただき誠に有り難うございました。私どもの事務所は二階にあるため、直接の被害を避けることができました。皆様のお心遣いに感謝し御礼を申し上げます。今年は梅雨明けが早く、毎日の水遣りに疲れて草むしりをする気力が萎えるぐらい暑い日が続いていたのに、いちど降り始めたらずっと降り止まずに降り続けて警報が発令されるような事態になってしまいました。自分たちは身の危険を感じることなく、警報発令後も暫らく様子を見ていたのですが、帰宅経路に不安があったため早めに事務所を閉めて自宅へ退避することとしました。後になって考えてみると、結果を知ってからの話ですが、ハザードマップなどで確かめると事務所から動かず待機している方が安全だったろうと思われます。自宅は安全だったにしても、自宅に向かう途中で何が起こるか分からず、想定を超えるような被災のリスクが大き過ぎたというのが私の結論です。私自身の帰宅経路を振り返ると、古くは泥町と言われた大川町で梯川を渡り、かつて濁池と呼ばれた大成町を通って、水が漬くところに家を建てたと通るたびに母が嘆く白さぎ団地を抜け、河川敷のサッカーコートが流れた手取川河口の美川大橋を渡るのが普段のルートです。今回、私どもの事務所では普段の通勤ルートを変更せずに帰宅できた者はいないようです。昭和九年の大洪水を知る母親から聞いた話では、砂丘地にあった織物工場で働く機織り達は降り続く大雨に実家に残した親や子供隊が心配になって帰宅し、雨が上がり水が引いても彼女達の何人かは工場に戻らず行方が分からなかったということです。中には、実家が流され屋根にしがみつく姿が最後だったと伝え聞いた人もあったそうです。大きく変化する未経験の状況で安全を見極めることは容易でなく、危険が迫る家族を見捨てることなどできるわけもなく、ひとり一人の主観的な判断に任せるだけでなく多少なりとも客観的なリスク管理が必要だろうと反省しています。また、人的にも物理的にも事務所に直接の被害は発生しなかったといえBCPの観点からは反省点が多く、火災と同様に水害でもパソコンのバックアップは遠隔地かクラウドでないと用を成さないことが分かりました。通勤の面からは降雪とは別の不安を抱えており、事務所自体は安全であっても駐車場が水没すると車を移動させねばならず、場合によっては車が水没して業務が停滞する事態も想定されます。業務面では、給料計算などギリギリのタイミングで回していることもあり、概算仮払などで切り抜けることはできると考えているのですが、労働基準法が求める一定期日全額払いをクリアできるのか検討も必要になってきます。事務所としての事業継続よりもむしろ顧問先企業の皆様の事業継続をサポートし続ける態勢を維持することが当面の課題として浮かび上がってきたと思っています。