スモールトーク

深い話を浅く聞く

 芭蕉が小松を訪れた時の句は「あなむざん甲のしたのきりぎりす」で、この甲こそ老武者斎藤別当実盛が討死の覚悟を決めて木曽義仲軍との退却戦に臨んだ装束とのことです。金明竹で馴染み深い篠原は片山津インターから近く、地元の者でなければ竹林より源平の古戦場として知られる土地でその驚ろ恐ろしさは「首洗いの池」に名残があります。幼少の義仲を救った恩人が実盛で、老いを侮られまいと白髪を墨で染め錦の直垂に菊唐草鍬形の甲で装い将軍の姿をしながら侍も従えず求めても名を名乗らず、首を取った手塚太郎光盛がこれを告げると義仲は事態を悟り、首を洗わせ髪が白いことを確かめると義仲は泣き崩れたと伝わっています。戦に先立ち義仲は能美の総社たる多太神社の八幡宮に戦勝祈願し、戦を終えて実盛を弔いその着具をここに納めたという由来を聞きました。これは実は、小松市観光ボランティアガイドの会による「芭蕉の歩いた小松路を訪ねて」というコースに参加して教わったことで、ガイドさんからは芭蕉のファンを期待されたのかも知れませんが、俳句の世界にも縁のない者が小松まち歩きのつもりで案内してもらいました。申し訳なさが半分と興味深さが半分で、継体天皇がまだ越前から即位する前の時代に多太神社が勧請されたなど思いも及ばぬ話でした。漫画家の手塚治虫氏の系図を遡ると首洗いの手塚太郎に行き着くとか言われると、千数百年が混乱のまま現在の空気に重なってしまいます。ボランティアガイドのコースには「小松の六ヵ寺めぐり」「北前船ゆかり安宅の街並み」など用意されていて、金沢と比べて小松には一向一揆以前の歴史が普通に残るので、まち歩きに止まらずまだまだ奥がありそうです。ただ、市内に住む人にとっては子供の頃からの遠足コースだったり、歩いていて知り合いと顔を合わせたり、ちょっと参加に抵抗を感じるのが残念なところです。もともと、海があり山があり、歴史があり文化があり、交通の便もいい小松ですので、その気で探すと我がまち自慢が幾らでも出てきそうで、話題も人材も限りが無いように見えます。芭蕉の訪れを早くにキャッチして句会を催して放さず、芭蕉好みの禅寺もあり、由緒ある寺社も残る小松の町の面白さが分かるような気がします。芭蕉が生きた時代には平家物語「実盛」も謡曲「実盛」も既に古典だったと考えると、芭蕉には一向一揆を殲滅させた跡に歴史と文化を築いた金沢とは違うものが見えていたことと思います。小松で引き止められた芭蕉はこの後に山中温泉に向かい、もう一度この町を訪れたというのが小松観光のセールストークです。刀砥立花北枝の彫った芭蕉木像が残る建聖寺や、西瓜祭りに出くわしたという兎橋諏訪神社に句会が催された本折日吉神社、そして古代から縁起を伝える多太神社も周って半日でした。また機会あれば、北前船を絡めたコースがガイドさんお勧めで、次は安宅の町の自慢話をお願いしようかと考えています。