スモールトーク
能美古墳群ジオツアー
山には名前が付けられているのが当たり前で、単に「山」と言って通じるのは特別の山でした。祖母が「山」と呼んだthe山は遥か遠くに際立つ白山でした。古い時代には名前を呼ばないのは敬意を込めた呼び方だとも言われ、俳人の加賀の千代女が山というのは白山だったようです。人工衛星が打ち上げられる前の時代、地引網で漁をする爺さん達は風や雲だけでなくこの山で気象を見定め、その日に舟を出すか諦めるか考えていました。一方、子供のころに私が遊びに入った「山」は海沿いの砂丘地に防風林として黒松が植えられた松林で、身近ではありながら日が暮れると怖いところでした。西日が海に沈むまで明るい浜で遊んでいて、家に帰ろうとするともう暗くなった松林の細い坂道よりほか近道もなく、犬の声など聞いて心細い思いをしたことが昨日のことのようです。もう一つ、「山」と名がついていたのが和田山など古墳の造られた丘陵です。小学生の遠足コースであり、中学生の相撲大会の会場であり、近年は桜が咲くと花見の広場となり、何か特別の場所でした。昨年、和田山には国内で比類なく古墳に近い能美市ふるさとミュージアムが設けられ、地元の人だけでなく県外からの観光スポットとしても目を引く施設になっています。和田山だけでなく、末寺山、秋常山、西山、そして寺井山と手取川扇状地南側に位置する五つの丘陵に幾つもの古墳が造営されており、近年、その整備が進められています。このエリアを中心にして「能美古墳群ジオツアー」を企画したところ、白山手取川ジオパーク公認ガイドで幼馴染でもある吉田洋氏が案内を引き受けてくれて、事務所のスタッフや関係者で半日ほど歩くことができました。能美古墳群は、石川の平野部に点在する独立した五つの丘陵上に古墳時代前期から後期(3世紀~6世紀)にかけて造られたもので、北陸最大級と言われる前方後円墳や前方後方墳、円墳、方墳の各種墳形を網羅する数十基の古墳が発見されているそうです。古墳のそばには神社や墓地があって古くから大切にされた場所と思われますが、平野の中の丘陵のため開発に便利で古墳群のかなりの部分は農地となり更に宅地や道路に造成されています。造成されたエリアには第二次大戦中に多量の鉄器を掘り出しこれをお上に供出した幻の古墳があったとの言い伝えがあるそうです。かつては藪にしか見えなかった末寺山も丘陵の雑木は見事に伐採されて綺麗に整備が進み、残る西山も駐車場が舗装されお披露目が近づいているようでした。同行してくれた吉田氏の友人で美術館博物館の学芸員を勤め高校の同窓でもある本谷文雄氏の話によると、面白いものを見せるのでなく面白さを見せるという考えがあるそうで、墳丘に上ると周囲の古墳群の先に白山から手取川そして日本海まで見渡すことができるロケーションが、どのような面白さとして演出されるのか楽しみです。
2022年4月26日