スモールトーク
褪せることのない記憶

古い写真はセピア色に変わるのか、もしかしたら意図してセピア色に仕上げてあるのか。何故か、祖母の写真は色褪せることなく仏壇の引き出しに仕舞われていました。何十年も前に、隣のお兄さんが、何の準備もなく窓から顔を出した祖母を撮ったモノクロ手札判のスナップです。それなりに大切にしてはいても、特別な保管をしていたわけでなく、紙の傷み具合から比べると不思議と初々しさを感じる色をしています。きっと、画像の定着処理を丁寧にして水洗にも時間をかけて暗室作業をしていたのでしょう。年を経るうちに記憶に画像が入り混じり、祖母の記憶がこの写真から作り直されているような気さえします。同年代の人と比べて明らかに背が高く、肩幅があって胸が厚くしっかりした上半身で、女相撲にでも行くことができたと冗談を聞いたような覚えがあります。しかし、膝を痛めて正座することができず、杖を手放せなくなってからの祖母しか知りません。仕事をしている祖母の記憶は全くなく、ずっと私は祖母にお守をしてもらっていて、夏の日には茣蓙を丸めて脇に抱えた祖母に連れられ、海からの風が通る松林で昼寝していたことを思い出すと、今も傍で見守られているようで気持が穏やかになります。もうすぐ祖母の命日です。北海道まで漁に出ていたという祖父は早くに亡くなりその一番下の弟を子としていたそうですが、のちに地元の学校の校長になる勤勉な教員の日常は豪快な性格の祖母にとっては窮屈だったのか、私の父の実家に身を寄せることがあったのではないかと聞いています。そのころ、父は伝染病で家族をみな失い本人も感染して実家に戻され、兄嫁の看病のお陰で一命をとりとめ、祖母の養子としてその世話をすることになったので、これが私には身近な祖母としての縁の始まりとなります。仏壇の隅の写真の居心地は分かりませんが、思い出すのは「いくら立派な家でも仏壇がなければただの納屋」という祖母の言葉です。祖母の財産らしきものはほんとに自分の家である証の仏壇しかなく、年老いて耄碌気味の病床で祖母が「さあ家に帰ろう」と呟いたとき、博打がもとで人手に渡ったという生家だったのか、祖父に嫁いで出てきた家だったのか、私の父母と暮らした晩年の家だったのか、今も分かりません。日の暮れるのが早くなり、そろそろ祖母から伝わる仏具を磨く時期にもなってきました。
2022年11月20日