スモールトーク
1919年からちょうど百年

戦間期のドイツにワイマール憲法に基づく共和制が成立したのが1919年、アジアでは日本統治下の朝鮮半島に三一運動が拡がったのが1919年ですが、私の母親が生まれたのも今から百年前のこの年です。大正というどこか軽快な印象のある時代に生まれ重苦しく激動した昭和の時代を生きて穏やかに平成の世を過ごすはずの母でしたが、昔を知る先の世代や同年代の人たちが次第に少なくなりいつまでも一人暮らしを続けることが難しくなったころ、自宅からの立ち退きと明け渡しを求められる嘆かわしい出来事がありました。70年前に先の持ち主から屋敷を譲り受けて父と共に移り住んだ土地であり、となり近所で諍いなどするものでない皆に聞いてもらえば分かること、というのが母の思いでした。私にとっては自分が生まれ育った土地であり、売り主も里帰りの折には親しく顔を会わせる間柄であり、年寄相手の言い掛りと受け止めていたのですが、関係者がみな亡くなって誰にも相談できなくなっていました。それでも母は立ち寄るたびに経緯を話し、誰も知らない昔のことを交えながら私は夜遅くまで同じ話を何百回となく繰り返し聞かされました。
この事件のお陰で、「小学校の跡地で米屋の長女として生まれた」自慢や、「学校を休んで手伝った鯛網漁で浜が赤く染まる」素晴らしさ、「父親が若くして亡くなり米屋の商売を人手に譲った」無念さ、「いくら頑張っても機屋の仕事を覚えられない」情けなさ、「大漁の鯖の分け前が重く砂丘の松林を越えて運べない」辛さ、「大洪水で心配して帰った先の実家が流れて浮かぶ屋根にいた機織を見たまま行方が分からない」怖さ、「洋裁を習い立派なミシンを買ってもらった」嬉しさ、「招集されて戦地に赴く弟の見送りも許されない」心細さ、「石川に嫁いで初めて農作業を教わった」面白さ、「夕暮れ時に提灯を下げて嫁入りする」見事さ、「私が用水に流され姉のように想う従姉に救われた」不思議さ、「父の自転車の荷台に乗って家を見に通った」大変さ、「婦人会の役員を終えた後も皆と交流が続いた」楽しさ、「癌の手術をした父を最後まで看病した」安らかさ、「砂地で花や野菜を自給自足する」気楽さ、そして「年をとって町内の方からお世話いただいた」有り難さ、……これまで母から聞いたことのない娘時代の話や祖母の言い伝え、父との思い出や嫁ぎ先での暮らし振りなど母の気持ちを交えて何度も聴くことができました。また、私が事務所を開業するにあたって初めて一人前の息子として扱ったことを思い出し、この先も仕事を続ける覚悟を新たにしました。そして何より、金銭的にも精神的にも限界を超えたと思うなか、気持ちの悪い着電や来訪が続いても勤め続けてくれた職員たち、不快な相談にも拘らず話を聞いて頂いた町内近隣の皆さん、いつも励ましてもらった先輩や友人たち、毎日の生活を見守って下さった親戚近隣の方がた、盗賊一家のように言われ逆恨みを恐れながらも日頃の暮らしを崩さなかった家族親族、沢山の皆さんに支えて頂いていることが良く分かりました。振り返れば、母にとって恥じることのない人生であることをあらためて認識し、これからも堂々とした人生を歩み続けることができると信じています。
2019年3月9日